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ミニマリストとその家族 家族は被害者

被害者拡大によりミニマリストが偏見を持たれないためのコラム

コレから目指す人も、目指している最中の人も、注意してください。 

捨てるのは快感。用法用量を守って正しくお使いください

捨てる行為は一種の解放の儀式みたいな物です。

まるで自分の肩に背負っている重荷を下ろすような軽やかさが、正常な判断を麻痺させるのかもしれませんね。ついには卒アルとか祖父母の遺品にまで「断捨離」の魔の手が忍び寄ります。

 

だいたい、断捨離して後悔したと言っている人は刹那的な快感に身を委ねてしまった中毒者さんです。

 

そういう人は、自分に後悔すれど責める事はせず、断捨離やそれを掲げる人を批判します。最初から最後まで他人任せで自分だけの責任と認めません。

 

断捨離したい人は、何があっても絶対に他人や環境の責任にしない心構えが必要です。

家族は断捨離の被害者

人によってはの家族が生き方に賛同してくれる人もいますが経験上、その道中彼らは一時期被害者だったはずです。

ミニマリズムとか断捨離、って言葉はカッコイイけれど生き方である以上その強要は宗教や政治思想の強要にも似ています。

もし、じぶんの母親がカルト宗教にどハマりして改宗迫ってきたら頭のおネジを疑うのと同じように、あなたが断捨離アンになって改宗をせまれば家族から心配されますよ、頭の病気として。

 

家族であれ他人の生き方に干渉しないという姿勢はとりつつも、結構相手を変えようと小賢しく動き回るのが伝道師の宿命でもあります。

 

そしてそれは、自分の物と家族の物と境界線が曖昧になった物の処遇を考えだす頃に家族との大バトルとなって表面化してしまうのです。

 

親しき中に礼儀なし

ミニマリストや断捨離に傾倒する人の多くが、元片付けられない病患者のような気がします。

 

それまで片付けないで家族に迷惑かけていたのに、今度は捨てまくって家族に迷惑をかけるようになってしまいます。

 

他人の領域に踏み込まないとは言うは大人の常識ですが、家族の間ではその境界線が曖昧になります。いつの間にか都合よく境界線を書き換えることがあるから気をつけてください。

 

家族はミニマリズムや断捨離に理解があると言っても、それが本当に納得したうえでなのか、諦めの境地になっているのか冷静に判断しないと、小さなシコリになってどこかで爆発する可能性があります。

 

片付いて部屋が空きな人間にとって家族の片付けられない姿には、不満な所もありますが、自分がもともとその領域にいたことを忘れないで下さい。

片付けられることは別に偉いことでもなんでもありません。それが極端に振れたところで、片付けられない変人が捨てる変人にジョブチェンジしただけです。

 

それぞれの家庭のことですが、何もわからない子供に自分のミニマリズムを押し付けて暮らしている姿は私としてはとても幸せな家庭には見えません。

 

ミニマリストは人間性や理性を捨てた小さな行き元の仕手ではなく、自分の子供の人格を認め選ぶ権利を与える理性的な人であって欲しいと思います。

 

思考がミニマムではいけないのです。自分がシンプルなら他の人がどういう生活様式であれ認めるのが正しい姿ではないでしょうか?