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水田わさびのドラえもんの違和感は、自分が老害だから感じてるだけかも

映画「STAND BY ME ドラえもん」VISUAL STORY: 未来の国からはるばると

ドラえもんの水田わさび。これが違和感なく受け入れられない人は多分老害です。そして書いてる自分が受け入れられない側の人間でもあります。おかげでドラえもん熱がかなり冷めておりましたが、最近ようやく彼女の声が「受け入れられない、けど悪くはない。」という印象にかわってきました。

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断絶されたドラえもん

水田ドラを受け入れられない自分は、心の底でどこかドラえもんというコンテンツを線で捉えていました。このドラえもんの前には、ドラえもんがいて、それが連綿と過去まで遡るけれど、どこまでもドラえもんである。という認識です。

でも実際は水田ドラが始まった時点で、古いドラえもんは消え去って全てが新しくなりました。理由はいろいろあったと思います。キャストの老齢化も大きな原因ですが、新しい表現や現代的な手法を取り入れるのに、旧メンバーでは色々とやりにくいところもあったような気がするのです。

今を生きてるドラえもん

実際、現ドラえもんになってからストーリーの内容や番組構成も変化しました。メイン声優の声質も現代的になったおかげか、人気声優のキャスティングも積極的なようです。あざとい表現にも積極的なようで、しずかちゃんのお色気度は旧作をしのいでいます。旧キャストでもできないことはないでしょうが、今よりもすんなり受け入れられたかはわかりません。旧ドラと新ドラに明確な断絶があったからこそできたことですし、今をリアルに生きる子どもにとって原作・旧ドラえもんにある理念は少々古臭くも感じます。根底的なものは大切にすべきですが、それを送り出す手段まで古くあり続ける必要はありません。

明日に向かうドラえもん

大山ドラえもんで生きてきた世代にとって、今のドラえもんは表現もストーリーも俗に感じてしまうでしょう。小気味好い起承転結やストーリー構成はあの頃の方が神がかっていました。そこだけ見ると、昔は良かったという気持ちになるのはわかります。これを書いてる本人も未だに旧ドラが良かったと思ってます。あきらかに過去の亡霊に取り付かれていますね。

あの頃のドラえもんが、未だに連続した存在であるという幻想を持ち続ける自分は老害であって、明日のドラえもんを見てないんだな、と水田わさびの声を聞いて時代に取り残されていると気づかされます。

まとめ

水田わさびだからこそできる「ドラえもん」がなかったら、今のドラえもんの演出はなかったはず。新しい表現や挑戦妨げる古い体質に遠慮をしいたら、ドラえもんという作品が過去の焼き増しというツマラナイ番組になっていたかもしれない。

水田ドラえもんはこれからも、昔は良かったと懐かしむような年寄りに向けたアニメではなく、今を生きる子どもたちに夢と現実を教えてくれる作品であり続けて欲しいと願います。