自由な生き方は「楽」ではない。結果的に「楽しい!良かった!」と感じるもの。自由は覚悟とご一緒に。

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自由な生き方や働き方は皆が憧れるライフスタイルです。

ヒッピー、就職氷河期時代のフリーター、セミリタイア、ノマドワーク、脱社畜。時代の波に浮かんでは消えていった自由な生き方の代名詞。もしかしら現在のミニマリストも仲間入りするかも。

形は違えど、誰からも縛られず、自分の意思ですべてを決定できる身軽さは閉塞する社会で伝染病のように発生するライフスタイルです。

閉塞的な生活のなか、旧態然とした価値観が崩れ去れば前途洋々たる未来が待っていると思うかもしれない。

ですが、しがない一社会人として、世間一般のライフスタイルを踏襲してきたおっさんとして伝えたい。「楽」じゃないんだよ、ただ「楽しい」いや「楽しかった」と未来のあなたの脳が定義付けするだけだよって。

脇目も振らずに走りぬく覚悟

なににも縛られない生き方は、がむしゃらに走りぬくのに似ています。

俺の周りにこの不況の中事業を成功させた知人が何人かいますが、彼らは常にがむしゃらでした。ブラック社畜なんて目じゃないくらいの月月火水木金金。時給換算したら最低賃金以下。

事業が軌道にのる間は睡眠時間を削って働きづめでした。明日お金を振り込まなくてはいけないのに、手元に1円もないという危機に何度も直面していたそうです。

外から見るとぞっとするような内情ですが、彼らは実に楽しそうに辛い現実と戦っていました。振り向く暇も惜しむくらい自由のために戦っている姿はすさまじいものでしたね。



好きなことをして自由に生きて行くことの辛さ



好きなことだけで生活していくことは、毎日楽しいわけじゃない。自己満足で終了する世界じゃなくなり、顧客・消費者を満足させる必要性が生まれてきます。

好きなことだけやって「働かない」選択はよほどの資産を持っている人にのみ許されるもので、ほとんどの場合何かしらの収入を得ないといけません。

俺はチェロが大好きですが、好きだからプロになれたら楽しいだろうな、などど一瞬も思ったことがないですね。チェロの先生に冗談で「プロ育成の先生紹介するから、プロを目指してみたら?」と言われましたが、即断りました。好きなのに好きっていう感情だけで片付けられない辛さは若いプロ演奏家と交流するたびに痛切に感じているので、その世界で生きて行こうなどと微塵も思えません。

むしろ好きでがむしゃらなのに、その結果である演奏を認めてもらえない辛さが精神を蝕みます。顧客はとても正直で冷酷です。

まあ、俺に関して言えば実力がないし身の程を知ってるので、そもそも無理ゲーな事だとわかってますw

楽な生き方を、楽しい生き方と勘違すると危険



自由は楽ではないです。自分本位で生きて、自分が望んで飛び込むからこそ「楽しい」と感じるのであって、その過程は決断と覚悟の連続です。

人生はハイリスク・ローリターンの投資ゲーム。

はたから見ると楽しそうに見えて羨ましいかもしれない。でも、その自由を勝ち取っている人たちは常に人生っていう、たった一枚のチップをベットして戦っている。自由奔放に生きる人を見るにつけ、彼らの覚悟のほどに感服させられる。

だからこそ自由という言葉を笠に着て他人に「楽に生きよう」とか「ゆるく生きよう」なんて言葉を安易に口にしたくはない。人生投げ打つ覚悟をし、いつもいつでも本気で生きてる自由人たちがいるのですからね。

閑話休題:生活コストが低ければ自由への障壁は下がるが

変動に強くはなるけれど、次のステップを常に考えて先回りしないといつかは詰む。

無視するべきリスクと、そうでないリスクをしっかりと切り分けて自由と付き合うといいでしょうね。

俺はリスクが過大すぎるので自由とは程遠い生活です。満足はしています^^

まとめ

自由は責任と義務ではなくて、覚悟。

楽しいという感情はその瞬間以上に、過去の経験を振り返った際に感じるもの。

俺は所帯を持っているので、失うものが多い側の人間です。
誰かの人生を背負って生きていることへの責任感は窮屈で「自由」の足かせになるのかもしれないけれど、それはそれで満足している。覚悟を決める度胸がないことへの言い訳でもある。

だが、代わりに「自由人」たちが俺の見ていないものを見聞きして、その情報を発信したり教えてくれたりする。俺はエアコンが効かない冷たいフローリングの上で寝袋にくるまりながら、彼らの経験のお零れにあずかる。

ある意味一番狡いのかもしれない。自分の人生をベットせず、他者の経験の片鱗をかすめ取っているんですから。

自由人たちの「自由と覚悟」に幸多かれ!と祈りつつ。