俺の家には毛むくじゃらで4つ足の獣が2頭住み着いている。
可愛いのは生後半年までで、あとは15年以上憎たらしい面を拝み続けなくてはいけない日々。
朝起きると「便所掃除をしろ」「飯をよこせ」と喚きちらし、布団の中に潜り込んでは俺の安眠を邪魔してくる。
そんな猫たちにとって飼い主様は「歪にでかくなった同族の猫」という認識だということが生物学者の偉い人の研究で明らかになった。
大きい猫だが、敵じゃないという認識
英国、ブリストル大学の生物学者、ジョン・ブラッドショー博士は、猫は飼い主を「大きい猫だが、敵じゃない」と認識していると唱えた。

猫と人間に主従関係はないと言われているが、どうやら猫の飼い主に対する認知の差も少なからず影響していたようだ。2足歩行で歩き回る人間を同族と認識する猫ちゃんのオツムをちょっと心配しながら、俺は今日も奴らに猫として接してもらっている。
犬とくらべて家畜化の程度が低い
見た目だけを優先して交配されたので、狩りや人間の介助を目的として品種改良された犬と比べると野生の本能が多く残り続けたそうだ。よって行動は学習よりも本能が優先されることが多い。
猫の可愛い動作と言われる前足フミフミや手足に擦り寄る行動は「人間を猫と認識した」上での親愛行動だとか。
要するに「よう、デカ猫。お前いいやつだからフミフミしてやんよ!」ってことだ。
俺たちは歪に巨大化した猫
どんなにデカくて歪でも猫にとって「人間の飼い主」は良い奴らしい。犬のような主従関係ではなく友情関係が人と猫の正しい交流の姿だということだ。
なるほど、拾われた猫耳美少女がどんな不細工な男でも一定の信頼を寄せるのは猫の本能として正しい姿だということがよくわかった。おまえら急いで猫耳美少女を見つけるんだ。少なくとも友達関係までは進めるぞ!
猫の友情関係とシェアハウス
冗談はさておき、この記事の文末に「友情関係」「シェアハウス」という2つのワードに目を惹かれた。
現在上下の繋がりより横のつながりが重要視され、その一つの解としてシェアハウスというものが存在している。親子という関係から脱出しつつも横の緩いつながりは維持して身の安全や精神的な安息を確保する。
ある意味猫が適応拡散した生存戦略にも通じるところが、今の人間関係や社会現象にも当てはまるのかなとふと思った次第です。
当然、生物の行動や進化は単純に説明できるものではないですし、ミームに関しては科学とエセ科学の狭間にある概念なので生物進化と文化的進化を同一視してみることは危険です。
まとめ
我が家の猫どもの呑気さを眺めて、お互いが侵犯し合わない距離を保ちつつほどほどの「友好」と「シェアメイト」という関係はこれから人間関係でも必要なスキルなのかもしれないと考えさせられました。
俺たちは「デカイ猫」。心も「デカイ猫」になって、日向の縁側で昼寝したい。